エンタメ「西郷どん」を知る(その5) 西郷吉之助(隆盛)の最初の妻・伊集院須賀
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1月から、明治維新の立役者の一人として知られる西郷隆盛が主人公のNHK大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」がスタート。 2月12日放映の第7話には、島津斉彬が藩主に就任した翌年、1852年の西郷家の出来事が描かれました。
明治維新150年記念の大河ドラマ「西郷どん」を「もっと分かりやすく」をテーマにしたシリーズ第5弾! 今回は、西郷吉之助(隆盛)の最初の妻・伊集院須賀についてお伝えします。 | |
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西郷隆盛は生涯のうちに3回結婚をします。 最初の妻は、西郷家より格上の薩摩藩の城下士・伊集院直五郎(兼善)の娘・須賀(すが)という女性。 伊集院家と西郷家とは歩いて10分ほどの距離で、須賀は近所でも評判の美人の箱入り娘だったようです。 大河ドラマでは、須賀役を熊本県出身の女優・橋本愛さんが演じています。 | |
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1852年、21歳の箱入り娘・須賀が嫁いだ先は、極貧状態で10人家族の西郷家。 親の勧めで結婚したとされていますが、実際は吉之助の猛アタックだったそうです。 嫁いだその年に西郷家では、祖父・龍右衛門、大黒柱だった父・吉兵衛、家事を取り仕切っていた母・満佐が相次いで亡くなりました。 新婚1年目でお葬式の連続、須賀は周囲から「不吉な嫁」として揶揄されますが、吉之助の愛情と支えで、貧困のなかにも何とか長男嫁の役割を果たしていました。 | |
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翌1853年には、江戸で大事件が起こります。 ペリー率いるアメリカの黒船艦隊が浦賀に来航、幕府に開国を求めてきたのです。 挙国一致でこの難局に対応しようと、幕府は諸藩に意見を求めることにしました。
1854年、江戸へ参勤する藩主・島津斉彬から一緒に同行するよう命じられた吉之助。 吉之助にとっては念願の江戸行きでしたが、用意しなければならない支度金30両が工面できない。 須賀は、夫を借金まみれの家で待つなんて耐えられないとキレます。 その後、弟や大久保正助(利通)らが必死で金を工面しようとしますが、須賀は「無駄です。里に帰ります」といって出ていきました。 吉之助のもとには、みなが集めてくれた金20両のみで、あと10両足りない。 そんな時、須賀が父・直五郎を連れてやってきて、離縁を申し出ます。 須賀は「わがままで悪うございました」と開き直り、直五郎は「わがまま娘は忘れて江戸に行ってくれ」と手切れ金10両を吉之助に渡します。 そして須賀は「清々した。そいなら」と捨て台詞を吐いて出て行きました。 その後、須賀は父に問われて言いました。 「あんな優しい男はみたことがありません。一緒に居たら離れられなくなります。江戸に行くと言えば引き止めてしまいます。あの人は自分のことを捨てて、相手の気持ちになってしまう。こんなひねくれた自分の気持ちも分かってくれただけで十分です。日本一の婿殿を離縁してやりました」 不器用に愛することしかできなかった須賀のおかげで、吉之助は江戸に行けることになったのです。
という内容で大河ドラマでは構成されていますが・・・。 実際には、1854年1月に吉之助は江戸に旅立っていますので、しばらくの間、貧しい西郷家で、頼りの夫が不在の中、同居している吉之助の5人の弟妹の面倒をみながら、困窮生活を送っていたようです。 それを見かねた須賀の父が実家に呼び戻したと言われています。 その後、伊集院家から江戸にいる西郷吉之助へ離縁の書状を送り正式に離婚となり、わずか2年の結婚生活に幕を閉じました。 この時、吉之助は「こちらこそ申し訳なかった」と伝え、円満離婚という形ではありましたが、吉之助はこのことを一生後悔していたそうです。
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