エンタメ「西郷どん」を知る(その3)薩摩藩主・島津斉彬が誕生する頃の世界とジョン万次郎
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1月7日から、明治維新の立役者の一人として知られる西郷隆盛が主人公のNHK大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」がスタート。 1月28日放映の第4話で、薩摩藩の内紛「お由羅騒動」を経て、渡辺謙さん扮する島津斉彬(なりあきら)が薩摩藩第11代藩主になります。 もし、父・島津斉興、側室・由羅VS斉彬の家督争いで斉彬が敗れていたら、西郷隆盛は世に出ることもなく、貧しい下級武士で一生を終わっていたかもしれません。
明治維新150年記念の大河ドラマ「西郷どん」を「もっと分かりやすく」をテーマにしたシリーズ第3弾! 今回は、大河ドラマ「西郷どん」で、幕末の名君・島津斉彬の藩主誕生の頃の世界に目を向けてみます。 | |
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斉彬が藩主に就任した1851年、イギリスでは世界で最初の万国博覧会「ロンドン万国博覧会」が開催されました。 34カ国が参加し、141日間の会期で当時のロンドンの人口の3倍、延べ約604万人が来場。 当時のイギリスは18世紀末から始まった産業革命により進歩の一途をたどり、「世界の工場イギリス」として、その圧倒的な工業力をこの博覧会で世界に知らしめることになりました。 当時、海上帝国のイギリスは定期蒸気船航路で南・北アメリカ、アジア、アフリカに分散する植民地を結び付け、ロンドンは文字通り世界の中心として君臨していました。 | |
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この頃アメリカでは、ゴールドラッシュの真っ盛り。 1848年にアメリカ合衆国のカリフォルニアで金が発見され、金脈を探し当てて一攫千金を狙う採掘者が殺到していました。 1851年にはイギリスの植民地だったオーストラリアでもカリフォルニアでのゴールドラッシュを経験した鉱夫が金脈を発見し、1851年のオーストラリアの人口は43万人でしたが、1861年には約3倍の115万人にまで増加するゴールドラッシュが起こりました。 結果、オーストラリアで世界全体の約3分の1の金を産出、カリフォルニアの金とともに、アメリカとイギリスは自国の通貨に金本位制の採用が可能となり、両国の世界金融支配が強まっていきました。 | |
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1851年、カリフォルニアでのゴールドラッシュで稼いだ金でアメリカからハワイに渡り、上海を経由して琉球(沖縄)に漂着した日本人が薩摩藩の取調べを受けていました。 その男の名はジョン万次郎(中浜万次郎)。
土佐出身の万次郎は1841年、14歳の頃、手伝いで漁に出て嵐に遭い、伊豆諸島の無人島の鳥島に漂着し、漁師仲間とともに3か月ほど無人島生活をしたのち、アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に助けられました。 日本はその頃鎖国していたため、漁師仲間は寄港先のハワイで降ろされ、万次郎は本人の希望からアメリカ本土に渡り、捕鯨船船長ホイットフィールドの養子となってアカデミーで英語・数学・測量・航海術・造船技術などを学びました。 アメリカでは、船名にちなみジョン・マン(John Mung)と呼ばれ、学校卒業後から数年間は近代捕鯨の捕鯨船員として生活していました。 1850年、日本に帰る事を決意し、帰国の資金を得るため、ゴールドラッシュに沸くサンフランシスコへ渡り、数ヶ月間、金鉱にて金を採掘する職に就き、日本への帰航費用を稼ぎ出しました。 アメリカからハワイに渡り、漁師仲間と再会。仲間とともにハワイから上海に向かう商船に乗り込み、上海から小型船で琉球にたどり着いたのです。 当時、琉球を管轄していたのは薩摩藩。海外渡航は禁止されている時代で、通常なら死罪を言い渡されるところでした。
開明的で西洋文物に興味のあった島津斉彬は、薩摩に連行された万次郎に海外の情勢や文化等について質問し、藩士や船大工らに洋式の造船術や航海術について学ばせ、その後、薩摩藩はその情報を元に和洋折衷船の越通船(おっとせん)の建造に取り組みます。
土佐への帰郷を希望する万次郎は、長崎奉行所で尋問ののち、帰国から約1年半後の1852年、漂流から11年目にして故郷の土佐に帰る事ができました。
帰郷後、万次郎は土佐藩の士分に取り立てられ、藩校「教授館」の教授に任命されました。 翌1853年、ペリー来航への対応を迫られた幕府はアメリカの知識を必要としていたことから、万次郎を幕府に召聘。 万次郎は江戸へ行き、直参旗本の身分を与えられ、軍艦教授所教授として、造船の指揮、測量術、航海術の指導に当たりました。
幕末に日本人で初めてアメリカに渡り、開国期の日本と世界の懸け橋として活躍したジョン万次郎こと、中浜万次郎。 帰国後は、米国で学んだ知識と経験を生かして明治維新に貢献し、西郷隆盛をはじめ、坂本龍馬や福沢諭吉ら幕末の志士や知識人達に多大な影響を与え、激動の幕末における影の重要人物のひとりです。 |