エンタメ「西郷どん」を知る(その2)薩摩藩のお家騒動

Posted:2018年01月22日
 

 

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1月7日から、明治維新の立役者の一人として知られる西郷隆盛が主人公のNHK大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」が放映されています。

明治維新のドラマを「もっと分かりやすく」をテーマにしたシリーズ第2弾!

今回は、大河ドラマ「西郷どん」で渡辺謙さん扮する幕末の名君・島津斉彬の誕生から、藩主になるまでの薩摩藩のお家騒動についてお伝えします。

 

1809年、鳥取藩から薩摩藩主・島津斉興の正室として嫁いだ弥姫(いよひめ)は、斉興の長子として斉彬を出産しました。

正室の初子が男児である事は、諸藩に誇れる事でもあったため、弥姫の男児出産は薩摩藩に大いなる喜びをもたらしました。

弥姫はかなりの才女で、子育ても乳母に任せず自ら母乳で育て、斉彬ら子供たちの教育も行い、薩摩藩の家臣から「賢夫人」と称されました。

しかし、1824年、斉彬が15歳のとき、「賢夫人」は34歳の若さで亡くなってしまいます。

 

 

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斉興の正室・弥姫が死去すると、斉興の側室・由羅(ゆら)は斉興の5男・久光を生んだ母として正室同様の待遇を受けるようになりました。

由羅は、江戸の町娘から薩摩藩邸で奉公していた際に斉興に見初められ、島津斉興の側室となった人物。溺愛する息子の久光が家督を相続することを望んでいました。

 

本来ならば嫡男の斉彬が継ぐはずですが、斉興は嫡子である斉彬に対して家督を譲らず、斉彬は薩摩藩世子という立場のまま40歳となりました。

これは、聡明だがかつての祖父・重豪に似た蘭癖(西洋かぶれ)の斉彬が藩主になることで立て直した財政が再び悪化するのを懸念してのこととされています。

久光の母、側室・由羅と家老・調所広郷などの重臣達が久光を後継者にと望んでいたため、藩主の座に居座り続けました。

何かと意見が対立する嫡子・斉彬より、従順な側室の子・久光の方を後継者にしようと思っていたようです。

 

一方、斉彬は既に将軍家へのお目見えも終了し、将軍・徳川家斉の弟で御三卿の一橋家当主・一橋斉敦の娘・英姫を正室としていた事もあり、誰もが次期藩主になると思っていました。

いつまでも家督を相続せず倹約ばかりを強いる斉興へ反発する若手武士を中心に、斉彬擁立の動きが出ていました。

 

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1848年、斉彬は藩主になることを決意し、幕府老中・阿部正弘に願い出て、薩摩藩の密貿易などの情報を幕府に流して斉興、調所広郷らの失脚を図ります。

幕府から密貿易の件で事情聴取を受けた調所は、藩主・斉興に責任を及ばさないために、事情聴取の直後、責任を取って服毒自殺してしまいました。

 

補佐役を失った斉興はさらに斉彬を恨み、是が非でも久光に跡を継がそうと思う様になりました。

翌1849年、斉彬の擁立を望む藩士らが久光とその母・由羅の暗殺計画を謀ったとして、斉彬派の藩士50名以上に切腹や島流しを命じました。(お由羅騒動)

その後も藩内では斉彬派と久光派に分かれて対立が続きます。

 

1851年、薩摩藩のお家騒動を聞き及んだ老中・阿部正弘の調停により、将軍・徳川家慶が斉興に茶器を下し、暗に隠居を促したのです。(「隠居して茶などたしなむがよい」という意向によるもの)

将軍の命令とあっては斉興も拒絶できず、遂に斉興は心ならずも隠居し、家督を斉彬に譲りました。

 

かくして、外様大名でありながら、琉球を含めた最高石高は90万石(籾高であり、実際の玄米高は約半分)と加賀藩に次ぐ大藩、薩摩藩に新たな藩主が誕生しました。

島津斉彬は42歳、西郷吉之助(隆盛)23歳のことです。

 

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