学ぶ大河ドラマ「軍師官兵衛」もあと1ヶ月、「天下の夢をみた中津城」!黒田官兵衛の九州上陸特集第4弾

Posted:2014年11月28日
 

 

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豊臣秀吉の天下統一を軍事参謀として支えた黒田官兵衛。秀吉亡き後、徳川家康と石田三成の関が原の合戦を前に、天下統一の野望をここ中津城で画策します。

 

1588年(天正16年)、秀吉の九州平定後、豊前6郡12万石の領主となった黒田官兵衛は、高瀬川(現:中津川)の河口に中津城を築城しました。

翌年、家督を息子の長政に譲り、黒田如水(じょすい)と改名。その後も秀吉の参謀としての役割は続きますが、秀吉亡き後、秀吉の家臣・徳川家康と石田三成の確執をみて、九州から天下取りの夢を描きます。

「天下を二分する徳川軍(東軍)と石田軍(西軍)の戦いは長引くだろう。九州を平らげ、中国を平定して東上し、戦いで疲弊した勝者と決すれば、天下を取ることができるかもしれない」と。

 

1600年、黒田軍5,400人は、息子長政が率いて東軍に属して出陣していたため、官兵衛は蓄財していた金銀を放出して浪人、百姓など9,000人の兵を集め出陣。九州の西軍側大名を次々に撃破しました。

しかしながら、長引くだろうと予測した関が原の合戦は、石田軍が弱すぎて、わずか1日で決着し、徳川が勝利。

関が原で活躍した息子長政には、筑前52万石が与えられ、家康の停戦命令により、九州制覇まであと1歩のところで、官兵衛の天下取りの夢は終結しました。

 

大河ドラマ「軍師官兵衛」も残すところ1ヶ月。天下分け目の関が原の戦いや中津から博多へと移っていく晩年の黒田官兵衛の物語が描かれます。

 

現在の中津城は、昭和39年に建築されたもので、江戸中期から当地の領主となった奥平家の歴史資料館となっています。

城の石垣には、官兵衛が唐原山城(福岡県上毛町)から運ばせた石垣などが今でも残っています。

<中津城・黒田官兵衛資料館>

大分県中津市二ノ丁本丸

TEL:0979-64-7122

中津駅より徒歩20分

 

 

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