アジア<QBCアジア支局だより>クールメディア化するテレビが日本の「テレビ離れ」を加速!?
日本は、基本的に、東京にキー局を置き、各道府県に系列局がおかれている。地方の系列局は、大半をキー局からのネット放送でコンテンツを賄っているが、夕方に自前の枠を保有していることが多い。
夕方の「ローカル枠」は、放送エリアの情報、放送エリアの視聴者のニーズに応える形での情報提供がなされるべきであるが、残念ながら、ここでも、全国エリアの週刊誌、スポーツ紙のゴシップが読まれている。視聴者からすれば、「全国ネットの情報番組で見たネタ」が、また、地方局の番組でも放送されるという状態に陥る。全国ネタを地方のコメンテーターがコメントしたところで、直接取材しているわけでもなく、精度が落ちる。地方局は、「自分達に与えられた枠」であるにも関わらず、キー局の2番煎じ、大阪準キー局の3番煎じのネタを提供するに甘んじている。「供給力の足りなさ」「ネタ不足」を露呈してしまっている。
メディアは「ホット・メディア」と「クール・メディア」に分類される。ホット・メディアは「情報の作り込みの精細度が高いもの」を指し、「クール・メディア」は「作り込みの精細度が低いもの」を指す。一般に、映画などはホット・メディアで、視聴者や利用者の意見や書き込みが反映されやすいSNSはクール・メディアと定義される。
我々が利用するニュースサイトには、スマートフォンなどを使って「書き込み欄」に投稿できる設定がされている記事がある。記事の内容よりも、「書き込み欄にどういうコメントが書かれているか」に注目する読者も少なくない。それらの書き込みは、閲覧者に偏見を与え、雪だるま式に伝播していく。クール・メディアの典型的な例で、「記事の質」よりも「芸能人、スポーツ選手のちょっとした行動」ネタが多い。
日本の「テレビ離れ」は、「コンテンツのクール・メディア化」にも原因があると言えよう。深夜のNHKニュースには、「視聴者からのtwitter投稿」が表示されるようになった。あの表示は「視聴者の声が分かって良い」という支持も得られる可能性があろうが、「画面が分散されて見にくい」「なぜ視聴者の声を表示するのか?」という反発のリスクもある。これは「視聴者からの声を入れ込む」という点でのクール・メディア化である。
また、情報バラエティ番組などで、ロケのVTRの画面右下などにスタジオ出演者が「ロケ画面を見ている」顔を表示させる「ワイプ」効果がある。これも、ロケの内容に、スタジオ司会者が賛同したり、驚いたりする様子を入れ込むことで、視聴者に対し、「思い入れ(偏見)の後押し」をかける効果である。コメディ番組の笑い声や拍手などの効果と同様である。「ワイプ」も、ロケの作り込みで勝負するのではなく、スタジオ出演者の顔を差し込むことで視聴者に擦りよることから、クール・メディア化と言えよう。
これらの傾向が、番組の作り込みの精細度を下げ、「たいしたこともない内容でも、スタジオの出演者がそれなりのリアクションを取ってくれるからなんとかなる」という甘えを生み、結果的に、コンテンツの質の低下を生むという状態に陥っている。
試合の結果や対戦の報道よりも、大会前後のゴシップの方が多く取り上げられる「スポーツ選手」、音楽性や新曲についての情報よりもスキャンダルが注視される「芸能人」など、「本末転倒」は多くのシーンで見られる。そして、それらのことに視聴者は気づいているから「テレビに期待しない」という状態が生まれているのである。
米国でも、ゴシップ報道は存在するが、それらは「面白く見せる」「オチをつける」「皮肉を込める」といった作り込みの度合いの高さによって、ホット・メディアの状態で放送されているのが現状だ。日本のように「週刊誌記事をスタジオで読んで推測を言い合う」レベルには収まっていない。現場の情報処理能力には「報道的感覚」「制作的感覚」「ユーモア感覚」など複合要素が必要になり、米国や中華圏TVメディアでは、分業化が進んでしまった日本よりも、それらの感覚が研ぎ澄まされている。米国コメディでは、金正恩第一書記をパロディ化したコントも存在するなど、ニュースに対応した内容の作り込みなども即座に放送されている。
(取材:亜細亜 渡)
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