イベント山笠(ヤマ)を知る!vol.⑪~大黒流・西流・恵比須流編~【博多祇園山笠】
今年で775年目となる福岡市の夏の風物詩「博多祇園山笠」 その「飾り山」や、男衆が担ぐ山車「舁き山」を紹介するコーナー、題して「山笠(ヤマ)を知る!」。
第11回は、ラストを飾る「二番山笠・大黒流」と「五番山笠・西流」と「七番山笠・恵比須流」を紹介します。
<二番山笠・大黒流 【舁き山笠】> 【標 題】千年契 【人形師】宗田智幸氏 戦国武将たちの争奪の的となり、度重なる戦火に見舞われた博多の再建・復興のための秀吉の箱崎滞在は約1ヶ月にわたり、秀吉および石田光成、千利休など豊臣政権の中枢郡に位置する人々と博多の町衆は結びつきを深めて行った。 箱崎における連歌会で、秀吉が「博多町 幾千代までや つのるらん」(博多の町が何千年(永遠)も栄えるよう)と句を詠むと、神谷宗湛らはこの句を博多のつわものたちに申し聞かせ、必ずや実現し末代まで語り継ぎましょうと誓った。
<五番山笠・西流 【舁き山笠】> 【標 題】牛若丸 【人形師】今井洋之氏 牛若丸は源義経の幼名です。 幼少の頃より武芸に励み、多くの書に親しんだといわれています。 成長の後、奥州平泉へ下って藤原秀衡の庇護をうけ、さらに文武に磨きをかけました。 幼いころから才気にあふれ、時代の転換期を切り開いた好男児”牛若丸”。 自らの信念を貫き通したその勇気と清々しさは、混迷を続ける現代にふさわしく、標題とされています。
<七番山笠・恵比須流 【舁き山笠】> 【標 題】我者博多総鎮守 【人形師】亀田均氏 櫛田神社櫛田宮の祭神を、大幡主大神と申されます。 大幡主命は、本来の名を大若子命と云い、 垂仁天皇の御代、弟の乙若子と共に皇室に伝わった三種の神器の一つ八咫鏡を鎮め奉る地を求め、各地を巡行された倭姫命に仕え活躍された方です。 その間、朝廷に従わない越国(現在の福井県付近)の凶賊阿彦を平らげ、 その武勇に対し標剣と幡を賜り、以来「大幡主」の尊称で呼ばれるようになった神様です。博多には、天平宝治元年(757年)、夷狄征伐の神として祀られ、櫛田神社の大神宮、祇園宮と共に「博多総鎮守」として古くから博多の氏子に祟敬され、今日に至っています。ちなみに、弟神乙若子命も、兄神大幡主命と共に櫛田宮に祀られています。
◇博多祇園山笠公式サイト◇ http://www.hakatayamakasa.com/index.php
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