目指せ!九州から世界遺産MI6といっしょに学ぼう!「明治日本の産業革命遺産」日本の歴史(第9話)三重津海軍所

Posted:2014年10月15日
 

 

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平成27年度の世界遺産登録を目指す「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」。福岡県世界遺産登録推進レディ・MI6(エムアイシックス)といっしょに、この遺産に関する日本の歴史を学ぶシリーズ第9話、今回は、「三重津海軍所」です。

 

1858年(安政5年)、天皇の勅許のないまま井伊直弼が、アメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスの5カ国と交わした「安政の五カ国条約」で、下田、箱館港のほか、神奈川(のちに横浜)、長崎、新潟、兵庫(にちに神戸)の開港も承認されました。

 

 

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安政の五カ国条約が交わされたこの年、九州の佐賀藩では、1855年に幕府が開設した長崎海軍伝習所で習得した知識や技術を藩内に広めるため、三重津(みえつ)に「三重津海軍所」の前身となる「御船手稽古所」を建設しました。

日本初の反射炉による鉄製大砲を製造し、当時、国内でもっとも技術が進んでいた佐賀藩の次なる挑戦は、洋式海軍の創設と洋式艦船の建造・整備でした。その拠点となったのが「三重津海軍所」です。 

 

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規模の大きい洋式艦船の修理は、和船の施設では行えないため、新たにドライドックを建設する必要がありました。

日本最先端の技術力を誇った佐賀藩が建設したドライドックは、石やレンガではなく、形こそ西洋式ですが、日本の伝統技術が巧みに利用され、木材を複雑に組み上げた国内最古のドライドックです。

のちに、ここでは日本初の実用蒸気船「凌風丸(りょうふうまる)」の建造も行われました。

 

 

現在、三重津海軍所跡は佐野記念公園として整備されています。西洋技術と日本の伝統技術の高度な融合により構築されたドライドックは、地下遺構として「明治日本の産業革命遺産」の構成資産のひとつとなっています。

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このように、幕末期の雄藩が独自に海防強化、軍備の拡充を押し進めているなか、徳川のお家騒動に敗れ、安政の大獄で藩主・徳川斉昭が蟄居(ちっきょ)を命ぜられ、藩存亡の危機に立たされた水戸藩では、宿敵大老・井伊直弼の暗殺計画が進められていました。

藩に迷惑がかからないよう脱藩願を提出して江戸に向かった脱藩浪士たちは、1860年、江戸城桜田御門に向かう井伊直弼の行列に襲いかかり、井伊直弼を暗殺しました(桜田門外の変)。

粛清と暗殺、攘夷と開国にゆれる幕末の動乱はここに始まりを告げたのです。

・・・つづく

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