目指せ!九州から世界遺産MI6といっしょに学ぼう!「明治日本の産業革命遺産」日本の歴史(第8話)安政の大獄

Posted:2014年10月08日
 

 

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平成27年度の世界遺産登録を目指す「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」。福岡県世界遺産登録推進レディ・MI6(エムアイシックス)といっしょに、この遺産に関する日本の歴史を学ぶシリーズ第8話、今回は、「安政の大獄」です。

 

ペリー2度目の来航(1854年)のときに交わされた日米和親条約に基づき、1856年、アメリカ駐日総領事としてタウンゼント・ハリスが下田に入港しました。

 

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△ タウンゼント・ハリス

 

 

ハリスは、大統領の親書を携え、通商条約の締結を求めます。1857年、ハリスは将軍・徳川家定に接見しました。家定は「通商については、老中・堀田正睦(まさよし)に相談するように」とハリスに伝えます。

幕府は、ハリスと日米通商条約締結に向けた交渉を始めることとなりました。堀田は、諸藩に意見を求めるとともに、孝明天皇に許可を求めますが、攘夷(外国人排除)の考えをもつ孝明天皇はこれを拒否します。 

 

 

こうしたなか、第13代将軍・徳川家定は病弱のうえ、世継ぎができず、第14代将軍の座をめぐり将軍の跡継ぎ問題が発生します。

攘夷思想をもつ「一橋派」の水戸藩・徳川斉昭や薩摩藩・島津斉彬など雄藩は、徳川慶喜(よしのぶ)を推挙。一方で、開国に賛成する譜代大名など「南紀派」は、将軍と血統の近い徳川慶福(よしとみ)を次期将軍候補として擁立しました。

 

 

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 △ 大老・井伊直弼

 

1858年、老中・堀田正睦が上京中、譜代大名筆頭の彦根藩主・井伊直弼が大老職に就き、幕府の実権を握ります。井伊は、天皇の勅許(天皇の許可)が不可能と悟ると、無勅許のまま日米修好通商条約を皮切りに、安政の五カ国条約を結びます。

さらに、譜代大名が推す徳川慶福が将軍・家定の養子となり、家茂(いえもち)と名を改め、13歳で第14代将軍となり、将軍継嗣問題も決着しました。

 

井伊直弼は、幕政の混乱を沈めるため、「一橋派」や尊王攘夷を唱える志士たちへの弾圧に取りかかります。弾圧の範囲は、公家や幕臣、諸藩士、儒学者、僧侶などに及び、100余名が謹慎または死罪などを言い渡されました。これが「安政の大獄」と呼ばれています。
 

 

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△ 吉田松陰

 

 

この「安政の大獄」で処刑されたなかに長州藩士・吉田松陰もいました。松陰は松下村塾を主宰し、約2年10ヶ月でおよそ90名の門下生を指導し、塾生には久坂玄瑞、高杉晋作、桂小五郎(木戸孝允)、伊藤博文、山県有朋などのちの日本の近代化に大きく貢献した人物もいました。

山口県萩市にある松下村塾は、いまでも当時の遺影を残し、萩城下町とともに「明治日本の産業革命遺産」の構成資産のひとつとなっています。

・・・つづく

 

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▽ 松下村塾

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