目指せ!九州から世界遺産MI6といっしょに学ぼう!「明治日本の産業革命遺産」日本の歴史(第7話)鹿児島・集成館

Posted:2014年09月11日
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平成27年度の世界遺産登録を目指す「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」。福岡県世界遺産登録推進レディ・MI6(エムアイシックス)といっしょに、この遺産に関する日本の歴史を学ぶシリーズ第7話、今回は、「鹿児島・集成館」です。

 

19世紀、植民地化政策をとるイギリス・フランスなど欧米列強がアジアへと進出してきました。1842年、アヘン戦争でイギリスが清(中国)に勝利し、その後、欧米列強の船団は日本国内においても、たびたび見受けられるようになりました。日本の南端に位置する薩摩藩は、その脅威に最初に接する場所でした。

 

 

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ペリー来航の2年前の1851年、薩摩藩主に就任した島津斉彬(しまづなりあきら)は、欧米列強による植民地化を防ぎ、日本を強く豊かな国にするため、大砲鋳造や造船を核とした様々な産業を興しました。これが集成館事業です。

 

「集成館」は、大砲鋳造のための反射炉や、ガラス工場、鍛冶工場など、多くの工場が集まる工場群で、最盛期には1,200人もの人が働いていたといわれています。たくさんの工場や反射炉を稼動させるためにはたくさんの燃料や動力も必要です。石炭が取れなかった薩摩藩では質がよく火力が強い木炭(白炭)を寺山炭窯などで製造しました。また、動力源には水車が使われ、集成館の背後にある稲荷川に関吉疎水溝を作り、水を供給しました。

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  △ 関吉疎水溝(左)  寺山炭窯跡(右)
 

 

斉彬は、反射炉建設にあたって、既に反射炉建設に成功していた佐賀藩からオランダの技術書の日本語訳を取り寄せ、それを基に、地元の石積の技術を使って基礎を築き、薩摩焼の技術を使って耐火煉瓦を焼くなど、西洋と日本の伝統技術を組み合わせながら、自力による近代化を進めました。

 

 
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   △ 島津斉彬(左)  旧集成館・反射炉跡(右)
 

 

斉彬は在任わずか7年間、1858年に亡くなります。斉彬亡き後、財政上の理由から、一時集成館事業は縮小されますが、薩摩藩は、1863年の生麦事件に端を発したイギリス艦隊との戦争(薩英戦争)で、欧米列強との圧倒的な力の差を見せつけられることとなります。このことにより、人々は斉彬が唱えた近代化の重要性に改めて気づき、第二期の集成館事業をスタートするきっかけとなりました。

・・・つづく

 

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