目指せ!九州から世界遺産MI6といっしょに学ぼう!「明治日本の産業革命遺産」日本の歴史(第6話)萩反射炉

Posted:2014年09月02日
 

 

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平成27年度の世界遺産登録を目指す「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」。福岡県世界遺産登録推進レディ・MI6(エムアイシックス)といっしょに、この遺産に関する日本の歴史を学ぶシリーズ第6話、今回は、「萩反射炉」です。

 

1853年のペリー来航以後、幕府は国防のために軍事力の強化を図ることにしました。老中・阿部正弘は、武家諸法度により禁止されていた大船建造の禁を解くなど、安政の改革を実施しました。実力をつけた雄藩を中心に海防強化のため、旧来の青銅製大砲に代わる強力な鉄製大砲の自力生産が模索されはじめます。

 

こうした時代のなか、萩(長州)藩では1855年、すでに1851年から反射炉の操業に成功していた佐賀藩へ、鉄製大砲の鋳造法習得のために技術者を派遣しました。しかしながら、幕府要請の大砲製造や韮山反射炉建設で大忙しの佐賀藩は、技術者の受け入れを断ります。

そこで萩(長州)藩は、佐賀藩が欲しがっていた萩(長州)藩発明の「砲架旋風台(ほうかせんぷうだい)」という大砲の台の模型を佐賀藩に提供。引き換えに、反射炉の見学を許され、スケッチを取って藩に持ち帰ります。

このスケッチをもとに建造されたのが、萩反射炉とされています。

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佐賀や韮山の反射炉が、オランダ人ヒュゲーニンの原書どおり、約16メートルの高さがあったのに比べ、萩反射炉は、高さ10.5メートルの安山岩積み(上方一部煉瓦積み)です。

萩反射炉は、付近に正常に稼働させるために必要な動力水車用の水路の形跡も見られません。

これらのことから、近年では萩(長州)藩には実用炉の存在は認められず、現存する萩反射炉は試験炉であったという見方が有力視されています。
国内に現存しているこの時代の反射炉は、静岡県の韮山と萩の2基だけ。萩反射炉は、藩が自力で、鉄製大砲の鋳造に必要な金属溶解炉である反射炉の導入を試みた貴重な遺産となっています。
 

 

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萩(長州)藩では、自力での反射炉建設は断念しますが、1855年に、西洋の兵学や文化などを広く研究するため西洋学所という教育機関を設け、1856年には恵美須ヶ鼻造船所を設立して最初の洋式軍艦「丙辰丸」を建造。1860年には2隻目洋式軍艦「庚申丸」を建造するなど、海防強化、軍備の拡充に努めました。

この萩(長州)藩の軍備の拡充が、幕末の政局に大きな影響をあたえることとなります。

・・・つづく

 

<福岡県世界遺産登録推進レディ・MI6のFacebook>

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 △ 萩反射炉跡

 

 ▽ 恵美須ヶ鼻造船所跡

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