学ぶMI6といっしょに学ぼう!「明治日本の産業革命遺産」日本の歴史(第5話)釜石・橋野高炉

Posted:2014年08月26日
 

 

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平成27年度の世界遺産登録を目指す「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」。福岡県世界遺産登録推進レディ・MI6(エムアイシックス)といっしょに、この遺産に関する日本の歴史を学ぶシリーズ第5話、今回は、「釜石・橋野高炉」です。

 

ペリー来航以来、欧米列強に対抗できるような鉄製の大砲を作ろうと、佐賀藩を先駆けとして日本各地に反射炉が作られました。1857年、伊豆の韮山(にらやま)で鉄製大砲をつくるための反射炉が完成した頃、東北でも歴史的な出来事が起こります。

 

 

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薩摩藩士の竹下清右衛門などと共に水戸藩の反射炉建設に携わった盛岡藩士の大島高任(おおしまたかとう)は、大砲の素材には良質な鉄鉱石を原料とした銑鉄が必要と考え、盛岡藩大槌通甲子村大橋(現:岩手県釜石市甲子町大橋)にU・ヒュゲーニン著の『ロイク王立鉄製大砲鋳造所における鋳造法』を参考として洋式高炉を建設し、安政4年12月1日(1858年1月15日)、日本初の連続出銑に成功しました。

 

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橋野(現:釜石市橋野町青ノ木)の高炉は、その成功から盛岡藩が製鉄業に乗り出し、大島高任などの指導により1858年から1860年ごろにかけて高炉3基が建設されたものです。

橋野高炉跡及び関連遺跡は、採鉱(鉄鉱石採掘場)、運搬(運搬路)、そして製錬(高炉場)に至るまでの製鉄工程を総合的に把握できる遺跡で、高炉操業に欠かせない木炭を供給した周辺地域の森林景観とともに良好な状態で保存されています。

  
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大島高任は、その後明治政府においても技術者として高く評価され、日本鉱業界の第一人者として活躍したことから、近代製鉄の父と称されています。

釜石地域における洋式高炉群の成功は、明治政府による官営釜石製鉄所建設の決定につながり、ここで培われた技術が、本格的近代製鉄所である官営八幡製鐵所の創業に大きく貢献していきます。

・・・つづく

 

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