学ぶMI6といっしょに学ぼう!「明治日本の産業革命遺産」日本の歴史(第3話)雄藩の登場

Posted:2014年08月21日
 

 

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平成27年度の世界遺産登録を目指す「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」。福岡県世界遺産登録推進レディ・MI6(エムアイシックス)といっしょに、この遺産に関する日本の歴史を学ぶシリーズ第3話、今回は、「雄藩の登場」です。

 

江戸末期、年貢徴収による幕藩体制に行き詰まりが見え始めます。財政は悪化し、度重なる改革も決定打とはなり得ないまま、ペリー来航により開国することとなりました。

諸藩の財政も、幕府と同じように悪化を続けていました。

こうしたなか、一部には大掛かりな藩政改革をして、財政再建を果たした藩も現れてきました。

 

 

黒船

 

 

長崎の警備を担当していた佐賀藩(肥前藩)は、10代藩主・鍋島直正が役人の数を五分の一に削減するなど大胆なリストラとともに、精錬方という科学技術の研究機関を創設し、鉄鋼、加工技術、大砲、蒸気機関、電信、ガラスなどの研究・開発・生産を行い、幕末期における最も近代化された藩の一つとなりました。

オランダの技術を取り入れ、1849年に日本最初の製鉄所を完成させ、黒船来航の前年にあたる1852年には反射炉を稼動させています。

  佐賀藩
 

 

1853年、ペリーが1回目の来航したとき、これに脅威を感じた幕府は、江戸の直接防衛のために品川沖に11基の砲台場の築造を計画。およそ8か月の工期で1854年にペリーが2度目の来航をするまでに砲台の一部は完成し、品川台場(品海砲台)と呼ばれました。

この砲台の大砲を造ったのは当時最も技術が進んでいた佐賀藩です。品川台場は現在の「お台場」となっています。

 

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一方、黒砂糖の専売制や琉球との密貿易などで財政再建を進めた薩摩藩は、藩主・島津斉彬(なりあきら)が、1851年に日本初の製鉄、造船、紡績などの近代洋式工場群「集成館」事業をスタートさせます。

 

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佐賀藩、薩摩藩と同様に、藩政改革を成し遂げ、力をつけてきた長州藩(萩藩)や土佐藩(高知藩)、福井藩(越前藩)などは、のちに「雄藩」と呼ばれ、幕末の政局で大きな発言権を得るようになります。

・・・つづく

 

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