学ぶMI6といっしょに学ぼう!「明治日本の産業革命遺産」日本の歴史(第1話)アヘン戦争

Posted:2014年08月19日
 

 

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平成27年度の世界遺産登録を目指す「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」。福岡県世界遺産登録推進レディ・MI6(エムアイシックス)といっしょに、この遺産に関する日本の歴史を学んでいきましょう。

シリーズ第1話、今回は、「アヘン戦争」です。

 

18世紀後半にイギリスで始まった産業革命は、周辺のヨーロッパ諸国やアメリカへと広がっていきました。工業生産力と軍事力を蓄えた欧米諸国は、市場の拡大を求めてアジアに進出していきます。

 

 

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 1840年、アヘンの密売をめぐりイギリスと清国(現在の中国)の間で戦争が始まりました。

当時、イギリスは清国からお茶や絹などを輸入していましたが、イギリスの輸出品は清国では売れず、イギリスは大変な貿易赤字に陥っていました。そこで、植民地のインドでアヘンを作らせて清国へ輸出し、貿易の均衡を図ろうとしました。

国内にアヘンが蔓延した清国は、アヘンの取締りに踏み切ります。それでも密輸入はやまず、清国は広州からイギリス人を追い出そうとしました。

このことが原因でイギリスは艦隊を派遣。その後2年間に及んだイギリスと清国の戦争は、1942年、清国の敗北で終結し、南京条約を締結しました。結果、香港はイギリスに割譲され、上海、広東など5港を開港しました。

 

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このことが、オランダを通じて鎖国政策を採っていた日本にも伝えられます。

日本は江戸末期、たびたび外国船が日本の沿岸に見られるようになっていた頃です。

人々は、「うそでしょ。あんな大きな清国が負けるなんて、とても信じられない。やがて日本にも押し寄せてくるぞ」と危機感を抱きました。

1842年、江戸幕府はそれまでの方針を転換、「異国船打払令」を緩和して、「天保の薪水給与令」を発令し、漂着した外国船に食料や燃料などを与えることにしました。

 

 

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当時、長崎の出島で清国以外に唯一貿易を許されていたオランダは、幕府に開国するよう進言しましたが、鎖国政策は日本の祖法であるとして開国を拒否していました。

そして、1853年、アメリカのペリーが4隻の黒船とともに、浦賀に来航するのです。

・・・つづく

 

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